僕が「校則」を嫌いなわけ。




「校則」について考えたことはありますか?

学生時代「なんのため?」と首を掲げながらも、何となく決まりだから…と従って、ヘンテコな思い出になっている「校則」。記憶の中から思い出を引っ張り出して考え直すと、新たな気づきが得られるかもしれません。五十嵐くんによる、新連載【校則が嫌いな大学生のぶろぐ】始まります。

 

こんにちは。

以前、とある教育イベントで出会った、愛媛の素敵な先輩から、「僕が校則を嫌いになったきっかけ」についてご質問頂きました。

 

ちなみにその素敵な先輩のtwitterはこちら

素敵な先輩の素敵なブログはこちら↓

 

僕はライザップの記事が好きです。

というわけで、今回はちょっとだけ自分語り的な、「僕が『校則』を嫌いなわけ」について書こうと思います。

「3万円のコート」の校則

僕の若かりし頃(高校生の時)の話です。

僕の通っていた高校には、「防寒用のコートは学校指定のもののみ着用を認める」といった内容の校則がありました。

そして、そのコートが3万円、、、

安いドンペリなら2本買えます。

 

珍しい話ではないかもしれませんが、高くないですか?

 

知ってる人が読むと個人が特定されてしまうので詳細は控えますが、当時、僕が付き合っていた彼女は諸事情により、この3万円のコートを「買って」と親に言うことができませんでした。

 

雪が降る日でも冬服のブレザーとマフラーで震えながら登下校していました。

体が冷え切った夜はなかなか寝付けず、何時にLINEを送っても返ってくる。

夜中なのか朝なのかわからないような時間にLINEが来ていた次の日(その日)に、その子の席が空席になっていることもありました。

 

校則による冷え性、睡眠不足、体調不良。

変な校則があるせいで、学校に来れない子がいる。

 

そんな校則に憤るようになり、「この校則を変えたい」と思うようになりました。

 

余談ですが、僕は「校則を守れない子」だったので、校則を破って指導されることは日常茶飯事でした。

気にくわない校則に対して、「破る」ではなく、正当な手段で「変える」ということを考え始めたのはこの時からです。

f:id:yumaigarashi:20200413012136j:plain

当時の新聞記事

その後、生徒会として校則を変えてもらえるように様々な活動をし、半年ほどかけて校則を変えてもらいました。

 

この時の経験から、校則に問題意識を持つように、、、

ってわけではありません。

たぶん、ここから先が本質です。

ブラックバイトでの「おかしい」と言えない若者たち。

高校3年生の秋に大学受験が終わった僕は、労働問題や貧困問題に関わるとあるNPOにボランティアとしてお邪魔するようになります。

 

そこで「ブラックバイト」の問題に関わらせてもらうようになり、実際に学生からくる相談のメールも拝見させていただきました。

その相談のメール、、

年間1000件

もくるんです。

 

1つのNPOだけで1000件、、

そのほとんどが明らかな「ブラック」です。

 

給料が払われない、、

皿洗いをしてる隣で副店長に「遅い!」と皿を割られる、、

 

その他、壮絶なものもたくさんありました。

これを読んでくださっている方の中でも「このバイト、ブラックだなあ」という経験したことのある人、いるのではないでしょうか。

 

しかし、この「ブラックバイト」

ほとんどが問題になりません。

多くの人が「ブラック」を体感するのに、ニュースになるようなものはほんの「氷山の一角」です。

有名なものは、「しゃぶしゃぶ温野菜」の事件でしょうか。

 

20万円の「自腹購入」と包丁で刺される傷害事件、、

壮絶なケースですね、、

このレベルまでこないと、ブラックバイトはなかなか事件化しません。

つまり、ほとんどのケースが「泣き寝入り」

 

明らかにおかしいブラックが、1つのNPOだけでも年間1000件もあるのに、、

「おかしいこと」に「おかしい」と言えない状況が、若者にはあるような気がしたんです。

 

「おかしいこと」に「おかしい」と言えない。

その一番身近な例が「学校の校則」なのではないか。

そんな関心から、もう一度「校則」に向き合うことを決めました。

 

やっぱり校則はおかしい

最初の記事でも書いたように、やっぱり校則にはおかしい仕組みがあります。

子どもの意見を反映させる仕組みを持たずに、一方的にルールを押し付けることができる構造。

実際の社会よりも厳しい構造があるのにも関わらず、「社会はこういうものだ」と、社会を知らない教師から押し付けられる。

歪んでいます。

そして、「3年我慢すれば解放される」からこそ、その歪み、「おかしいこと」に慣らされてしまう。

 

この環境で子どもたちは何を学び取るのか。

何を「教育」したいのか。

教育ってなんだろう、、

そんなことを考えてしまいます。

 

そして、一方的に作られるルールは、常にマジョリティ(大多数)のために作られてしまいます。

例えば黒髪の人が多い空間では、黒髪が「当たり前」となり、それが「普通」で、それが「真面目」に見える。

「髪は黒にすること」

なんて校則はこの校則の歪みをよく表してると思います。

 

他にも

「イヤホンをしないこと」(聴覚過敏の人は?)

「コートは学校指定(3万円)のものに限る」(買う余裕がない人は?)

「男女の交際は禁止」(交際が男女じゃない人もいるのでは?)

などなど、

 

全て「マジョリティ」を想定されて作られたルールです。

こういったルールは、わざわざ「普通の人」と「普通じゃない人」を作りだします。

この中で「普通じゃない」というラベルを貼られた人はどんな気持ちか。

 

そんな想いを抱えた人にたくさん出会いました。

 

わざわざルールを作ることで生きづらかったり、理不尽に苦しむ人がいます。

必要かどうかもわからないルールを一方的に押し付ける。

そしてそれを「教育」と呼ぶ。

僕はそんな「校則」が嫌いです。

 

 

今回は自分語りの会でした。

長々と失礼しました。

ここまで読んでくれた方、もしいたらありがとうございます。

 

最近は、インプット月間なので、あまりアウトプットしないのですが、そろそろいろんな校則を紹介する記事を書こう思っています。

 

では。


筆者
五十嵐 悠真(いがらし ゆうま)

21歳。
校則がきらいな大学生。 日本大学文理学部教育学科3年 理工学部の化学系に2年間通った後、校則について考えるために教育学科に編入。 趣味はロードバイク

「校則がきらいな大学生のぶろぐ」: yumaigarashi.hateblo.jp

Twitter : @saruyarou12

▼この連載の一覧はこちらより▼

ABOUTこの記事をかいた人

愛媛のベンチャー企業で働く広島出身のカープファンです。 この写真は、オクラの花がオクラの味がするという衝撃の事実を知り、友達にその事実を伝えるためにラインしまくる15秒前の様子です。