僕達は経験したことくらいには、想いを馳せることができる。




僕達は経験したことくらいには、想いを馳せることができる。

そうは思いませんか?

 

僕は今までに、

初めて車で路上を走った時に、車にとっての車道を走る自転車の怖さを、

飲食店でバイトをした時に、ピーク時の飲み放題のドリンクを間に合わせる難しさを感じた時に、

自分が今まで想いを馳せることが出来なかった立場の人に思いを馳せることが出来るようになったように思います。

 

なぜ突然こんなことを言いだしたのか。それは先日また一つ、想いを馳せることが出来る立場が増えたように思うからです。



先日のことです。

「あぁ、おいしいうなぎ丼をちゃんとした店で食べてみたい。」

そう思って財布を開いて820円しかなかった僕は、バイトを探していました。

 

そして、「ごみ収集助手・選別」という仕事を見つけました。結構な時給で日払いだったのでよしよしと思い、僕はそのバイトをすることにしました。

そのバイトは文字通り、ごみ収集車という小さい時に車が好きだった少年が乗ってみたいランキングの5位くらいには入ってくるであろう車の助手席に乗り、町のゴミを集めたり。

集めてきたごみを開けて、手作業での分別作業をしたりしました。

出典:city.asaka.lg.jp

知ってましたか?

僕達が出したごみは、“誰か”の手によってもう一度分別をしてもらっていたのです。恥ずかしながら僕は知らなかったですが…



僕はこのバイトの経験から、また一つ想いを馳せることができる瞬間が増えました。

今後、ゴミの分別がめんどくさいなぁと思った時には、その先に手作業で分別して下さっている人がいることに、

朝、ごみを出すときには、このごみを集めて回ってくれている人がいることに、

想いを馳せることが出来るようになったように思います。

 

だからどうという話ではありませんが、自分が使っている何かや、生活している中での様々な何かは、“誰か”のおかげで成り立っています

そのすべてを知ることはできないかもしれないけれど、その先の事に少しでも想いを馳せることが出来るようになれば素敵だなと思います。

そのための一つとして、“経験”というものが果たす役割の大きさをガツンと感じたのでつらつらと書いてみました。

今日も最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

それでは今日はこの辺で。


ちなみに、最初の写真はバイトからの帰り道で見つけた杖みたいな犬…ではなく、犬みたいな杖です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。