『食べ物を残す』というのはその人だけのせいなのか




アマリモノでウマイモノの第1回目を終えて色々とこのイベントについて考えました。

それで、タイトルのようなことを考えました。どうしてそう思うのか、など書いたのでぜひお付き合いいただければと思います。




フードロスとか色々な人の出会いとか、このイベントに何か大義名分を見出そうと思えばなんとでもいえます。でも正直第1回をやろうと思ってやったのは、関東・関西でこういったイベントがあるのを知って、愛媛でも同じような形で出来そうだからやってみようというとても軽い気持ちでした。

 

1回目、そこそこ人は集まって、課題も出てきました。多分、2回目もそれなりに集客を頑張り、前回のイベントの課題を解消していけばそこそこ良いイベントにはなっていくと思います。

でも、自分自身がこのイベントに取り組むにあたって、もう少し自分の取り組む意味的なものがないとふらふらしたものになっていくなと感じたので、ここではその宣言というかそういうものを書きます。

イベントが終わった後に言われたこと

(イベント時に集まった食材)

第1回目のイベントが終わった後、

こういうイベントがあるから、食べ物を余らせても大丈夫。という風にしたくない

ということを中心で一緒に頑張ってくれてる頼りがいがありすぎる友達に言われました。

僕の脳みその中には1ミクロンもないその考えに強く、確かに。

と思って、その言葉がずっと心に残っていました。

でも、それでもいいんじゃないかなと今は思っています。

 

食べ物を残す”というのは、良くないこと

 

でも、それはその本人だけが悪いのでしょうか?

1人暮らしの食生活に対応した商品が売っていなかった場合は?
急な用事が入ってしまったり、バイトが忙しくて料理が作れなくなってしまった場合は?

食べ物を残す”ということはそれ自体、その人自身の問題にしてしまってはあまりに冷たすぎやしないか?

もしも、当イベントのようなものが色んなところで定期的に開催されたり、近所づきあいがまだ今も健在であれば、余った食べ物がコミュニケーションツールになったり、よりおいしいものをつくれたりするかもしれないのに。



なんだか不思議な世の中で

(イベントの様子)

僕らの身の回りには問題がほんとはたくさんあります。

社会問題なんて聞くとなんだか難しい遠い世界のような気がするけれど、僕らが生きている社会で起きている、僕らが起こしている、ほんとは身近な問題で、僕らはそれを多分知っています。でも、知らないふりして生きることが出来てしまう。

そんな、なんだか不思議な世の中に生きています。

 

フードロスの問題もその中の一つなんだと思います。

フードロスひとつとっても、生産時の農家さんなどが抱える問題や、スーパーなどの小売業者が抱える問題、そして僕ら消費者の地域とのつながりの希薄化、孤食の問題など多くの社会問題をはらんでいるような気がします。

(おいしそうなカレーが出来そうな予感のする写真)

僕らがそれを知らないふりして生きることが出来ているのは、それを“実感”することがないからなのではないか?

 

もしそうであるなら、僕はこのイベントで社会問題と自分がつながっているということを感じられるきっかけにしたい。そして、社会問題は僕らの手によりどうにかできると感じたい。

僕はこのイベントをそんなイベントにしたい。

というような想いを持って、イベントをつくっていけたらなと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

下に次回の詳細を書いてるのでお時間会う方はぜひ来ていただければ嬉しいです。
また、チラシは自由に使っていただいて結構ですので、SNS等で拡散していただければ泣いて喜びます。

 

それでは今日はこの辺で。


次回の開催が決定しております!
上のチラシの通りなのですが、

【イベント詳細】
日程:6月6日(水)
時間:17時45分~21時
場所:COMS 調理室
申込:https://goo.gl/forms/inEMN02LwG0NdX2m1

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